悪嵐の汚部屋。そのいち。

汚部屋…それは、拙い小説や下手な絵を載せるところ。そのいちがあるということは、そのにがあるということ。

僕の好きな作家さん。

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僕が、初めて辻村深月さんの世界に踏み入れたのは、中学一年生の頃だったと思う。


当時、進研ゼミをやっていた僕は、ついてくる付録と編集室の様子の漫画などがある本と努力賞にしか興味がなく、その他のものには触れていなかった。


その編集室の様子の漫画などがある本には、他にも別の漫画や、小説が載っているときがある。そこに、辻村深月さんの『サクラ咲く』が載っていた。


『サクラ咲く』を最初に見たときは、とても綺麗な世界だと思い、びっくりした記憶がある。ガラスのように透明感があって、星のようにキラキラと輝いて見えたのだ。


その日はずっと『サクラ咲く』しか読まず、他の漫画は放置した。そして、毎月この小説が読めるという楽しみな気持ちと、早く読みたい、結末が知りたいという気持ちが入り交じった気持ちになった。


この『サクラ咲く』の主人公の『塚原マチ』という女の子が、僕に似ていた。引っ込み思案で、自分の意見がなかなか言えない。僕もその性格だった。それに、本も好きで、僕は自然と『サクラ咲く』の『塚原マチ』になっていた。引きこもってしまった同級生もいるし、本当に『塚原マチ』になってしまったかのようだった。


だが、僕は僕で、『塚原マチ』ではない。


本を通じて文通したりなんてしてないし、『海野奏人』のような人に出会ってないし、恋なんてしてないし、…そして、『塚原マチ』と違って僕は『自分』を持っていなかった。


『塚原マチ』は、『自分』を持っている。だからサクラが咲いた。僕の中のサクラの蕾は芽吹くことを知らなかった。


でも──それで、よかったのかもしれない。


中学時代は悲惨なものだったから、そこで無理矢理咲かせることはなかったのかもしれない。


高校時代に『自分』を見つけ、『自分』をさらけ出し、サクラを咲かせることができたのだから、よかったのかもしれない。


時を経て、今、僕は再び『サクラ咲く』を手に取る。『サクラ咲く』という本の中には、『サクラ咲く』以外に2つ作品が存在している。その2つも僕は大好きだ。


他の、辻村深月さんの作品も集めている。


『盲目的な恋と友情』

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『ツナグ』

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『鍵のない夢を見る』

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『ふちなしの鏡』

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『ぼくのメジャースプーン』

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中学時代から高校時代、図書室に通い続け、辻村深月さんの世界にどっぷりとハマった僕は、それらを買い、何回も、何回も読んでいる。

 

それほど、面白い。僕は満足感を得る。


小説を書くきっかけも、辻村深月さんの世界に踏み入れたからだ。でも、辻村深月さんの書く文体は、描く世界は真似できない。真似したくても、絶対にできない。

 

だって、僕は、辻村深月さんの世界が大好きだから。